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/jp/ - Japanese Culture

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​いと、だめだと思う。  
​責任役員や、委員や、教師や、信徒に、自分の洗濯をさせたり、いろ〜な個人の用事をいいつけたり、道と個人をこんどんせぬようにしてほしいと思う。先頭者というものは、自分の教会の責任役員や、委員や、教師や、信徒を、自分の家へ雇い入れた奉公人のようなつもりで、人をこき使うということは、人のかしらには立てない消極的な人と思う。そういう人は一日も早くこの道から退去した方がよいと思う。  
​あちらへ行ってはだしやだしゃ、こちらへ行ってはがしゃがしゃ、「おまえがこうゆうことをいったから、おれはこうゆう運命になった」とゆうて、自分の悪いことは棚にあげて、親様をうらんだり、責任役員や、委員や、教師や、信徒を、あしざまにののしって、ひとりさびしく暮らしている、ということでは、先頭者とはいえないでしょう。こうした御言葉も、思いあた
る人は絶対に思い換えをして、欲にはなれて改良して、道にまい進してほしいと思う。わかったでしょう。  
​一六日 国床立之命様 おたがいにおもいやるりで おもわれる ☆ 九五四
           家もはんじょう 道もはんじょう 友引  七三八
                              二一一六 🦅  
​まったくのことと思います。  
​一七日 面足之命様 これからの みちのしだいというものは ☆ 一六五
          りにりがそうて なにかはんぜん 先負  八四九
                              三二七 🐀  
​ということは、どういうことであるならば、この「会田ヒデ」が、幼い時から仏教を学び、自分の家の家庭的事情から、どこかもっとしっかりと助けていただける道はないかと、朝な夕なにと、天照皇大神宮様へ願いをかけ、おる所から、ある人が訪れて来て、いろ〜とのお話を聞かしてくれて、それからその人といっしょに、お参りにやらしてもらった所が丹波市の天理教で
​あって、「他の宗教は信仰してもよいが、天理教だけは、お参りには行ってはいけない」と、親からとめられておりましたから、天理教の神殿へは、お参りに行かずに、待てよ、この「会田ヒデ」は、仏教の浄土真宗、すなわち親鸞上人様の教えを伺っておりまして、他力本願一条の信仰をしておりましたが、この天理教にも、開祖様がおられるはずだ。だからその開祖様のお墓へなりと、お参りにやらしていただきたい、という心になって、親鸞上人様のお墓へでも、お参りするつもりで、お墓地へやらしていただきましたところ、お参りさしていただいておりましたところの頭の上に、お日様がきらきらと御照らしになっておられましたので、御日様と天理の教祖様のお墓としばらく見つめておりましたが、
​ああそうだ、と立ちあがって、今考えると、天理教の教校生が、しるしばんてんを着て、歩いてきましたので、『ちょっと伺いますが、この天理教の
​御教祖様とおっしゃるお方は、どういう方でございましたか、教えてくださいませ』と申しましたところ、「何しろあなたは、どこから来られましたか ここはお墓地ですから、たいした話もできませんが、御教祖様のお口から、お出しくだされた御筆先というものが、あそこに見える木下書店に売っておりますから、それを買って来て、お読みになればわかりますよ」と教えてくれて、その人はお墓地で、立ち参拝をして去って行きました。  
​それから、この私もはっと気がついて、そのお筆先が大急ぎで買ってまいりまして、お墓地でそのお筆先を読まさせていただきましたところ、不思議なことばかりが書いてありますので、天の月日親様と御教祖様とを見くらべて、それから、天理教の本部の神殿で、お参りをさしていただいて、家へ帰ってから、親に話しましたところ、「お前みたいな者は、これから家へ出入りをしてはいかん」というて、さん〜におこられましたが、そんなこと
​御教祖様とおっしゃるお方は、どういう方でございましたか、教えてくださいませ』と申しましたところ、「何しろあなたは、どこから来られましたか ここはお墓地ですから、たいした話もできませんが、御教祖様のお口から、お出しくだされた御筆先というものが、あそこに見える木下書店に売っておりますから、それを買って来て、お読みになればわかりますよ」と教えてくれて、その人はお墓地で、立ち参拝をして去って行きました。  
​それから、この私もはっと気がついて、そのお筆先が大急ぎで買ってまいりまして、お墓地でそのお筆先を読まさせていただきましたところ、不思議なことばかりが書いてありますので、天の月日親様と御教祖様とを見くらべて、それから、天理教の本部の神殿で、お参りをさしていただいて、家へ帰ってから、親に話しましたところ、「お前みたいな者は、これから家へ出入りをしてはいかん」というて、さん〜におこられましたが、そんなこと
​にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
​ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて
気楽安楽に暮らさして、いただくことができる、ということや。わかったでしょう。  
​一八日 国狭土之命様 ごくらくの よわたりできる 今日のひや   二七六
           なんとめずらし なんととのもし 仏滅 ☆ 九五一
                              四三八 🐂  
​ということは、皆さん方が、入信される前と今とは、どう違いますか。実行をしている人は、何んとめずらし御利益をいただいて、何んと楽しみな道やと、喜んで運んでおられるでしょう。  
​この「会田ヒデ」も、大正十二年末より、入信をさしていただいて、人様をお助けさしていただくのに、願えば助かる。願えば助かる。というありがたい一条で、この道にまい進させていただいてまいりました。そこで御言葉の中に『万国を一つにまとめの甘露台。以の字の中の一点を知れ』と仰せくだされてあります御言葉を、天降りいただいてから伺っておりますが、
『万国を一つにまとめの甘露台様』とは、月日様のこと。『以の字の中の一点を知れ』ということは、伊佐那岐之命様、伊佐那美之命様。この神様の理を受けて、一家の家庭の父母様、それにつらなる子供ということは、『一点を知れ』という言葉の理。  
​それから書面の一番しまいに、「以上」という言葉を使うでしょう。上という字が、以の字の方から見れば、上下の下でしょう。反対から見れば上(かみ)親子も共ということが「以上」ということだそうな。  
​また御言葉の中に、『よろずの元の根をほらす、力あるならほりきりてみよ』と仰せくだされてありますが、『この世に生まれさんしていただいてから』と仰せくだされてありますが、『この世に生まれさんしていただいてから、あとさき知りたる者はさらにないから』と仰せくだされてあります通り、『この根のほりかた知りたものなし』と仰せくだされてあります通り、まったくお互様は、これ
したことを、今日にいたるも、皆さんが朝夕おつとめをさしていただいておるのでしょう。ここのところは、天からの御言葉でございますから、よく聞いて心に治めていただとうございます。それはどういうことであるならば、容易ならざる天の御言葉でございますよ。  
​『むはんすっきり払うでしっかり助けに甘露台』と願う。はき出す息が空中へとびまわる。そのとびまわっている息を、吸いこむ人が、腹の中の悪気邪念が退ぞいて、おのずと導かれてくるのだそうでございます。  
​そしてまた、各教会で、支部長や、分講長や、責任役員や、委員や、教師や、信徒の家で、おつとめをされる空気が広がっておる。これを甘露法の雨という。ですから、このお道を聞かしていただいておる近所に火災がおこっても、その息を吸っているのと、甘露の法雨とで、家が焼けないのですが、あくたもくたをゆうておる人が隣におれば、その隣は焼けても、皆さんのお
家には、甘露の法雨のしめりけで、火災をまぬがれるのでございますよ。この御言葉を天からいただいておられる人は、『授けのこうや広大無辺』と仰せくだされてあるのでございますよ。  
​それですから、まさえあったら、ほしい、おしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、つづまるところ、欲、高慢の心をなぎ払って、むはん払いのおつとめを余念なく、つとめていただきたいものでございます。それですから、この道の人のおられるところは、台風でも、水害でも、火災でも、地震でも、雷様でも、みな無難で通していただいておられるでしょう。こういういすいを悟ってお暮らしください、ということや。  
​すべての作物も、豊年作物の御利益をいただいておられるのでございますよ。会社でも、家庭でも、業者でも、なんとなく甘露の法雨のしめりけの御光を、人間の魂が吸いたくなって、商売の方も、会社の方も、すべて豊かに
​になっているのでございますよ。  
​そこで中に反対者がおると、一様の家庭でも、業者でも、会社でも、空気が人間心と信仰心とがショートして、もやのごとくに暮らしている世の中でございますよ。ですから、この道の者が、意気はつらっと心のうちで、『むはんすっきり』と願いながら、ほとりの人にまじこらんよう、心してお暮らしください、ということや。わかったでしょう。  
​二〇日 雲読之命様 皆様よ さかきのまいとは なんのこと   四九八
          あまくだりたる 元のいんねん 赤口 ☆ 二七三
                             六五一 🐰  
​ということは、この世をお造りくだされた、月日親様や八方様のところへ、この台が、『今この世上が、大東亜戦争とか何んとかいうて、日本へ攻めよせてきて、日本の人間が、みなごろしになるというような、危険な状態で皆おびえておりますから、さっそくくに地上へ、この私といっしょに天降っ
てお助けいただきとうございます。人間ではとても世の中の人を救うことができませんから、お願いいたします』と天に御願いに出かけた姿が『のぼり龍』。天といっしょに天降っていただいたのが『下り龍』。皆さんがお助けをいただくたびごとに、天に願いをかける、これが『のぼり龍』。御言葉のさがってくるのが『下り龍』。そこで、皆さんとこの台と月日様と八方様と皆さんと共にやらしていただいて、世の人でとに助ける。この姿が、天降りたるものとの因縁、ということや。わかったでしょう。  
​二一日 煌根之命様 おたがいは かぐらのめんを よくさとれ   五一一
          うたのいみあい こうしてよめ 先勝 ☆ 三八四
                             七六二 🐉  
​このとおりと思います。だが皆さん方の神社で、お祭りがあるでしょう。その時に、神楽堂へ出て、お面をかぶって、いろ〜な踊りをされるでしょう。その姿がみな、皆さんの家庭でやっておられる姿と思います。
​にこやかにほがらかに暮らしているのが【おかとめさん】。口をとがらせて腹を立っているのが【ひょっとこ面】。いつも腹を立って、ものを言わずにふくれているのが【おたふく面】。あまりよくはこちらではわかりませんから、皆さんの方でお悟りください。  
​本部に運んで、おかがらづとめをなさる時、ただうか〜と、おかがら歌を読み流しにせぬよう。『こうして願えよ、助けてやるぞ』と、天からおさげ渡しされた御言葉の文面を、一言ずつ心におさめて、よく味わって、家庭におっても用い、外へいっても、人のふり見てわがふり直し、つとめにいっても、不足不足のけんかのうずにまきこまれて、不足はせぬよう。のらへいっても、畑に家々のほこりのいきをふっかけると、作物の実りが、とぼしくなりますから、ほこりの心つかかんよう。いつの時でも心して、日々お暮らしください、ということや。わかったでしょう。
からもう手ずがつけられないから自宅で養生をしてください、と医者からつましいんどうを渡されることになるでしょう。  
​それから親族会議を開いて、家へ引きとって、交互に看護することにしたそうでございますが、お医者さんは、今年いっぱい持つか持たんだかわかんないというそうだ。だが寿命の点はお医者様でもわからんし、あの世から持ってきた寿命どおりに、世の中に生きている人もあるし、あまりほこりをつみすぎれば、寿命より早くなる人もあるし、こういうことも、『理から治る道であるから』と仰せくだしてありますから、日々心してお暮しください、ということや。  
​この人は本部にきても、親様に近づったこともなく、御言葉もあまり聞いてはいないようでした。本部に来れば、明けの日には早々ともどるましう、つくし運びもそのわりにしてはいないし、こういう人は今にどうな
間がしてもらったり、春秋の講習の御言葉やら、話しは山ほど聞いておっても、自分のことになると、人間というものは、思いがえをしないで、勝手な心を使って、「死んでしまった方がましだ」なぞと、つまらん心を使って苦しんで願いに出るより、もう一息苦しんで死んで行けばよいのに、苦しくなると、たえられなくなって、「ああ死ぬような心を使ったからこうして出てきたのだ。あるじの帰りがおそくても、不足をするとせきが出るのだ、これはあるじといきが合わんだの」と親様月日様へおわびをして、あるじがおそく帰ってきても、きげんよく迎えてやるような心になれば、身上はたちまち守護になるんだが、どうして人間というものは、心の改良しないのでしょうかね。
​ある所のある人が、体がだるいとか、苦しいとかいうて、お医者様にみてもらったら、子宮癌だとか、体内へ癌ができているとか、肋膜へ水がたまっ
ているとか言われて、家族の者が悲観をして、「親様月日様、まことに申しわけありませんが、もう一度神様へお願いをしていただきますとか、いろ〜なことを願っておられましたが、その身上の人は、お医者様に、いろ〜なことを家の人に話す。それを家系の者が悲観をしている人に、『悲観をしないで暮らしてもらいなさいよ。親様が天に願ってくださるから』と注意をすれば、『もと〜医者なんてだめだということは知っておりますから、今となっては、神様におすがりするよりほかに道はないいうて、家々は皆願っておりますよ』と、何んでも心というもののそっちのにして、おすがするだけではまことにと困ったものですね。  
​先方からこうした口上を聞かされると、親様の方では、ああ困った者だ。たとえ一カ月でも二カ月でも、お医者様にみてもらっておりながら、『もともとお医者様はだめだ』なぞいうて、たたきつぶしていたのでは、お医者様
からもう手ずがつけられないから自宅で養生をしてください、と医者からつましいんどうを渡されることになるでしょう。
​それから親族会議を開いて、家へ引きとって、交互に看護することにしたそうでございますが、お医者さんは、今年いっぱい持つか持たんだかわかんないというそうだ。だが寿命の点はお医者様でもわからんし、あの世から持ってきた寿命どおりに、世の中に生きている人もあるし、あまりほこりをつみすぎれば、寿命より早くなる人もあるし、こういうことも、『理から治る道であるから』と仰せくだしてありますから、日々心してお暮しください、ということや。
​この人は本部にきても、親様に近よったこともなく、御言葉もあまり聞いてはいないようでした。本部に来れば、明けの日には早々ともどってしまうし、つくし運びもそのわりにしてはいないし、こういう人は今にどうな
からもう手ずがつけられないから自宅で養生をしてください、と医者からつましいんどうを渡されることになるでしょう。
​それから親族会議を開いて、家へ引きとって、交互に看護することにしたそうでございますが、お医者さんは、今年いっぱい持つか持たんだかわかんないというそうだ。だが寿命の点はお医者様でもわからんし、あの世から持ってきた寿命どおりに、世の中に生きている人もあるし、あまりほこりをつみすぎれば、寿命より早くなる人もあるし、こういうことも、『理から治る道であるから』と仰せくだしてありますから、日々心してお暮しください、ということや。
​この人は本部にきても、親様に近よったこともなく、御言葉もあまり聞いてはいないようでした。本部に来れば、明けの日には早々ともどってしまうし、つくし運びもそのわりにしてはいないし、こういう人は今にどうな
るかと、本部では見ておりましたところ、こうした身上になられて困っておられますのよ。  
​とにかく家庭では嫁さんをもらい、そのしゅうとめさんと嫁さんがあまり仲がよくなくて、嫁さんが出ていったの、戻ってきたのというているうちにけんかした嫁さんに、さかんにめんどうを見てもらわにゃならんのだから、嫁さんをもらいたてに、あまりしゅうちゅうとめ風をふかしていたから、年限たって嫁さんに頭を下げて、たとえお水一杯でも、下の世話でもしてもらわねばならんようなことがおこりますから、皆さん方も、理というものを日々研究してお暮らしください、ということや。よろず助かる道をたどってお暮らしくださいね。わかったでしょう。  
​二三日 大戸辺之命様 おたがいに りでなるみちと こころして   七三二
          大じのまえの しょうじききわけ 先負 ☆ 五一六
                             九八四 🐎
ということは、どういうことであるならば、お互様に今世家庭で現われていることが、前生通った裏が出ているのだから、どんなことが現われてきても、本部へ運んできて、理というものを教えていただいて、前生の因縁を自覚していけば、大事にいたらず因縁をくい止めることができるから、大事の小事ききわけ、ということや。  
​お互様にどんな因縁が積んであっても、理でなる道であるゆえに、一歩手前で、因縁をふみかぶらずに暮らさせていただける、ということや。お互様に、心して暮らさせていただきましょうね、ということや。  
​たとえていうたら、あるじが極道して、家族の者を今世困らしいているとしたら、前生にないしょうで、家内が極道しておって、今世あるじに極道されて、前生困らしいた因縁の期間だけ、あるじに困らせられるのだから、人間というものは、見た目の解決ばかりしておって、あるじが悪いとばかり思って
いたとて、人間の常識で判断のできぬようなことをして、あるじが妻を迎えて、いっしょになって暮らしておりながら、子供が二人も三人 もできてからよそに女をこしらえて、子供をこしらえて、れきぜんと恥じいる心もなく、ずう〜しく、そういうことを天下晴れてやっていられるということは、前生の因縁が積んであればこそ、理から苦しめられているのだから、よくく思案をしてごらんなさい。そして「あるじと女が別れるように」と、氏神様へ願いをしたり、祈りをしたりしておっても、前生泣かしした期間がこうちは、理からあるじは目ざめないというようなことがあったり、また、前生あるじが極道しておって、今世家内が男をこしらえて、子供をおきざりにして出ていって、先方の男といっしょになっておっても、あるじがさのみ反抗心も持たずに、「子供がいるから帰ってきてくれよ」と、ひたすら家内に頭を下げているおやじも世の中にはたくさんあるそうな。
そうして暮らしているうちに、家内がたま〜戻ってきて、あるじを離縁して、子供をつれて立ち去る家内もあるそうな。世の中というものは、よくむじゅんしているようなことは、みな前生の裏が出て、今世みなー家族かわめいているのでございますよ。  
​因縁自覚ということが、一番大切でございますよ。そうしてゆけば、おだやかに世の中が治まってゆくということや。  
​『理というものがわからねば、がんぜ知らずもおなじことや』と天で仰せだしてありますから、日々現われてくる因縁にとらわれぬよう、理を見わけて暮らしていただくことが、かんじんと思う。よくわかったでしょう。  
​二四日 岐様 身上て事情やとても そのごとく   八四三
       はるとあきの ことばこころせ 仏滅 ☆ 六二七
                         一九五 🐑  
​『春と秋の言葉心せ』ということは、どういうことであるならば、皆さ
んもご存知のごとく、春は陽気で花も咲くし、人間にも若い時代陽気であって、浮いた浮いたの心で、花ざかりのような気持ちになって、いろ〜なものを着かざって、ふらりふらりと歩きまわって金を使う。そして若い時代には、何の働きもないくせに、親を困らした因縁で、年とって汗だくになって働いて、実りのような季節がきたころには、親不孝の因縁が積んであるから、今度は自分がかたずいて、子供が授かって、その子供が年ごろになって、親の働いた金をむさぼりとって使い果たして、秋の実りのに、田地田畑を売り払って、人手に渡ような時がくる。  
​そして何もないようになって、ふるえあがるような時がくる。そうしたこと数を積み重ねっていってオルことを、神様の御言葉の中に、『因縁をきらねばおもつづくなり、おそい早いかきらにゃ通れん』と仰せくだされてありますから、生まれさしていただいた子供を育てながら、親がざんげをし
てまじめに子供のめんどうをみておいて、娘や息子というように、若い時代がくる直前に、親の方が子供の姿を見て、「このくらいの年の時に、こういうぜいたくをして、親を困らしてきた。申しわけなかった」と、若い親が寄りの親に心真からざんげして、自分が使い果たしただけの御恩報じをさしていただいておりさえすれば、若い夫婦の子供は、年ごろになって極道するにはならずに、まじめな息子や娘に仕立てあがる、というものや。  
​さすれば、その若夫婦を年寄りの親が愛することになる。さすれば、若夫婦の子供が一生懸命に働いてくれて親思いになる。こうした家族制度が代々続いてゆけば、家中が陽気になる。家々が豊かになるから、身上や事情もよくなる。さすれば、むだ使いがなくなるから家庭が豊年万作となる。  
​あたたかい心で、家々が愛し合ってゆけば、つまらん因縁が現われてこないから、ものにおびえて、ふるいあがるようなことはなくなる、ということ。
や。一家そろいて万々才となる。こうした家庭ができあがれば、世界中が極楽世界になる、ということや。よく分かったでしょう。  
​二五日 美様 かなごろの はなしはみなも きいている  九五四
       なれどほんしん わかりいるかよ 大安 ☆ 七三八
   { ... }                    二一六 🐒  
​ということは、どういうことであるならば、皆さんが日々お話ししておられる言葉というものは、なかなかですねい。そのかなの言葉の声をかけようでお、先方が自分に満足のできる言葉をかけてくれるというもの、これが理というものでしょう。  
​それだから、発言する前に、『胸と口とが砂とすいのうにかけて、こした言葉を出せよ』といつも天から仰せでございますよ。それだから、耳にたこがいるほど聞かしていただいておっても、皆さんは家へ戻って実行をしておられますか。こういうことを、一番親様は心配をしていてくださるのでござい
ますよ。声のかけかたが違うと病気になったり、事情がおきたり、まわりの人が心配をしたり、うち〜の心のうちがまっくらになってしまいま物すから各自の家庭のめい〜が心して、声をかけ合っていただきたいと思います。  
​そこでたとえた話しが、あるじが外からおそく帰ってきても、「なぜ今ごろおそく帰ってきたか」というて、むか〜と腹を立つところを、ぐるっと向きをかえて、「お帰りなさい。きょうも早かったですねい」と声をかければ、「きょうはこれ〜こういうわけでおそくなったが、あすは早く帰れると思うよ」というて、先方からいいわけのような声をかけてくれることになるでしょう。  
​そこでまたむか〜してくるところを、ぐるっと向きをかえて、「外へ出られておるために、いろ〜と用事もありますでしょう。どうぞご心配なく」というて声をかければ、相手の人が、「これからは脱線しないように、家へ
早く帰るくせをつけよう」という心になって、一家の家庭が円満になる、ということや。  
​さすれば、家にいる家内の声のかけ方ひとつで、相手の人も家へ帰るのが楽しみになる。しゅうとや、しゅうとめや、小じゅうとも、孫も、皆うちそろって、夕食のだんらんのひと時がおくれる、というものや。それを反対に「きょうはおそいわねい。外で何してきたの。ご飯のしたくをして待っていたのに、あまり帰りがおそいから、しゅうとさんも、しゅうとめさんも、小じゅうとも、私も、子供も、みんなご飯をいただいてしまいましたよ。おふろみんなではいってしまいましたよ。おふろは少しぬるいかもしれませんが見おそく帰ってきたばちで、ぬるいおふろへはいりなさい。おそく帰ってきたばちで、ご飯でもおかずでも、みんな冷たくなってしまいましたが、勝手におあがりなさい。」相手方から、「おれはもうご飯もすんだし、おふろ
もすんだし」というて、ぷり〜怒って、寝間へはいって、相手の人が勝手に布団をしいて寝てしまうというようなことになったら、一家の家庭がばらばらになる身仕度を、はじめたようなことになってしまうでしょう。それだから、一家の家庭がばら〜にならないうちに、いっさいの心の向きをかえてお暮らしください、ということや。わかったでしょう。  
​二六日 国狭土之命様 なにもかも きいてつたえて いるけれど   一六五
          わがみのしあん なんとしょうぞや 赤口 ☆ 八四九
                             三二七 🐓  
​ということは、どういうことであるならば、わが身の思案は家庭のこと。これは運んで聞かしていただいて、心のもっていき方をさとしていただいて実行にうつしてさえゆけばよいのであって、親様月日様、八方様のみ教えて聞かしていただいて、八方の人に話しをさしていただいて、ということが、『聞いて伝えているものの』ということや。
そこで皆さん、どんなことがあっても、いくら人間がきれいなことをいうておっても、『清水もしびんで出せば』ということは、神様のお話しは清い御話しでございますが、日ごろの行ないが悪ければ、しびんでしょう。しびんで出したお話しは、人に用いていただくことはできませんねい。『道に立つ身はよろずつつしめ』と仰せくだされてありますとおり、しっかりと実行していただきとうございます。
​まあたとえた話しが、神様の御話しを、聞いて伝えていたとしても、実行のできん人のいうことは、人が用いてくれませんねい。「あんな心道教の話しを聞いている人が、家内や子供をほっておいて、二号三号もって極道をしているものの話しを聞いたって仕方がない。あの心道教の親様は、あんな極道をしている人を、支部職だの責任役員だの委員だの教師だの信徒だのと、寄せ集めてやらしておくということはない。あんなところへ行って、もしや家
​のせがれやら、嫁やらが、極道になっては大変だ」と、ひとりちりふたりちり、年限たつうちに、人がひとりともよらなくなってしまって、先頭者が極道をしていると、枝先のものが皆不足をして、身上事情でもちもさげもならんようになって、困った者やと思った日もかず〜ありましたが、たとえ先頭者が極道をしておっても、枝先の人が不足をして、ばら〜になってしまえという教えてはないのだから、親様をめどうに、たれもかれも真剣にやらしてもらっておりさえすれば、いつか先頭者も、身上か事情で目ざめる日もあるのだから、「あの先頭者が、親様月日様、極道をやめますように御利益をしてやっていただきとうございます」と、一列の人が先頭者を願ってやるという、誠の心がほしいと思う。  
​先頭者は何かのショックで魔がさして脱線をしたのでしょうが、ものの半年もたたんうちに、中気のような身上が現われて、心を改良して御利益をい
ただいで、ついてできておりますが、回わりで不足不足をいうていた人はなかなか寄ってはきませんねい。ささいなことでも、先頭者はじめ一頭の者が、人を見て、ああのこうの批判をして暮らしていたのでは、しょせん助からんことになりますでねい。  
​御言葉の中に、『人を見て理を見る力なきものを、めくらというはちがいあるまい』と仰せくだされてありますとおり、「親様からいろ〜とお話しを聞かせてもらいたいが、ながく〜そばへによれないし、つまらんことや」というて不足を言っている人も、中にはたくさんあるように思いますが、
​神様の御言葉の中に、『神というはつきあいよいものや』と仰せくだされてありますとおり、寄り日の時に、ごあいさつに出られて、遠慮なくどんどん質問してくださいれば、どんなことでも解答をさしていただきますから、ひとりでもよいから前へ出て、親様に声をかけていただきとうございます。
それから寄り日以外の日でも、なるべくお会いさせていただきますから、遠慮なく受付まで申し出てください。そこで皆さんに一言申し上げますが、ふだんつくしも運びもしないで、心の改良もしないで、お道に協力もしないで、においがけもお助けもしないで、ただばくぜんと本部へお参りにきて、人の話しを聞いてばくぜんと戻っている人は、おがみたのみのお参り信心で、親様月日様から聞かしていただくことはできませんので、自分から自然と遠ざかって、勝手に親様の悪口を言うている人も中にはあるそうな。  
​なれどそんなことは、こちらではおかまいなしですからねい。心次第でどれだけの協力したからとて、天で見おとしのありそうなことはありませんから、しっかりと目ざめて、道を正して向きを換えて、つくしもし、運びもし、心の改良もし、においがけもし、お助けもし、親様のところへじかに書面をよしてくだされば、一家の家庭の身上や事情の助かる道あけの御返事も、
次第によっては、出してもいただきますから、安心して近よるくせをつつけた方がとくだと思う、あいだの日に運ぶ時に、親様に面会するのがおっくうな人は、親様となれている人の案内で、出かけてきた方が早く助かると思うよくわかったでしょう。  
​二七日 月読之命様 めいめいの もちまいなるを よくさとれ  二七六
          よろずたすかる ことになるから 先勝 ☆ 九五一
                           四三八 🦁  
​ということは、どういうことであるならば、お互様に、前々生から積んできた因縁の果し場所は、この地上でございますよ。『なんと生まれ変わっても、皆このとおり』といつも天で仰せだしてあるのでございますよ。  
​この地上でいろ〜な因縁を積んで出直しして、またこの世にきて仇をとったりとられたり、これがすなわち、『この世は恩の報じ場』という。御言葉の中に、『恩を果すかあずけるか。差し引き勘定天がしている』と
仰せくだされてありますからは、持ち場立ち場を大切に、現われてきたことを、恥じいることはないから、本部へ運んで聞かしていただいて、ふりかかってくる難をきりぬけていく道を教えてくださるのが、このたびの天降りの天からの、『こうせいよ、ああせいよ』とおさしずをしていてくださるのでございますから、仰せのままに進ましていただくことが、持ち場立ち場の役目を、無難で果していただくことができるのでございますから、しっかりと心しておさとりくださいませ。  
​『まあ前生にどんな悪いことがしてあっても、この道に出て、あやまり果ててざんげして、これからこうと改めかえて、このお道にふんばるというのなら、今までに積んだ因縁を切って、三代先の理を授ける、というは万どう末代一度の普請や。しっかりやってくれよ。月日たののみや』と仰せくだされてあって、人間が人を心でたたいたり、また相手の人にたたかれたりして
きょうまでは泥試合のような世渡りをしてきたが、『これからこうと、心を改めて暮らすというのなら、今までのところ許す』と仰せくだされてあるのでございますから、安心して、しっかりと道をやらしていただいてゆけば、どんな火水の中でも陽気暮らしになれる、ということや。いっさいの人間心をはいしして、神様一条で、おのが心をお互に、とりしまって暮らしていただくことが大切と思う。『大切と思う心は元へ出せ』と仰せくだされてあるからは、元とは親様月日様、八方様のこと。天地間の人を救わしてもらいうほど、親孝行はありませんね。  
​この世の中のありさまをよくながめて、よくさとって、善悪見さかいをよくつけて、心正しく導いて、あきずにこりずに運ばしてもらうことが助かる元ですよ。よくわかったでしょう。
​二八日 雲読之命様 なにもかも わかっているというひとは  三八七
          なにもわからん ことになるから 友引 ☆ 一六二
                             五四九 🦅  
​ということは、世の中でもよくいうとおり、「早のみこみの早忘れ」とか「うんしった、はとのくそ」とかいうことを聞いておりますが、皆さんは聞いておられますか。  
​とにかく神様がこの世をお始めになったとき、いろ〜な鳥畜類に、ねぐらの作り方を教えてくださったのだそう的でございます。何んべんも何んべんも、月日様のもとへ行って、くわしく教えていただいて、すを作ったそうでも、月日様は、はとだけは、うんく〜わかった、うんわかった、というて、いつまでたっても早のみこみの早忘れで、とうく〜すの作り方がわからなかったそうでございます。ですから、すが作れないから家の軒の下で住まいをさしてもらって、わらを一本つるしただけで、きょうの日になっている
このお道もそのとおりで、うんく〜わかった。腹立ちごとをやめるのか、うんく〜わかった、というて、一度運んでめったにこないで、年に一度ぐらい運んできて、「持ち前性分の改良か、また腹立ちか、そんなことは聞かんでもわかっているわ」といって、十年の間に三べんぐらい運んでいたのでは先生の顔もわからんし、本部の食堂がどこにあるのやら、自分が訪れる部屋がどこにあるのかわからんし、後から入信した人でも、真剣にやっている人は、前からですいていた人を追いぬいて、教会長になったり、支部長になったり分講長になったり、責任役員や委員や教師になったりして、世の中の理というものも明るくなって、人の先頭に立って多くの人にかしずかれて、敬いとばれて、親様にもみなかわいがられて、どんく〜と一家の家庭も助かり、教会内も助かり、結構ずくめになっておられる方もちくさんありま
すが、とにかく親様月日様、八方様の天降りということもしよくわからずに、うかつに暮らしていたのでは、年限だけは十年でも十五年でも運んでいるような顔をしておっても、十五年の間に三回か五回運んでおったのでは、きょう運んだ信徒と同じでしょう。  
​それだから、親様の前へもきまりが悪くてこらえなくて、だんく〜道から遠ざかっていってしまって、会長さんより古い信徒も中にはあるそうな。それが親ひとり子ひとりで暮らしていて、子供が成人して嫁をもらって、これからというところで、家をあけ渡ような気持ちで、お道にふばしてもらえばよいものを、子供が、「お母さん、神様のところへお参りでも行っていらっしゃいよ」と声をかけられたら、「ありがとうよ」と、お道に出させてもらえばよいものを、「おまえ二人はおれをじゃまして外へ追い出す気か。この親不孝者めが」といって、せがれをあくたもくたにの
のしって、「家のせがれは嫁が来てから悪くなった」といって、家から外へ一歩も出ずに、道もやらずに寝ているそうな。そのせがれは、幼い時から道を聞かしてもらっているから、道もやらねばならんが、生活面の維持も立てねばならんで、嫁と協力して家々のまわしから、人のつきあいから、道のことから、一生懸命でやっていているそうな。  
​なれど、この若夫婦の大事なところは、親を思いやって暮らしてもらっていないと、今度若夫婦が親の立ち場になるのだから、子供に親孝行してもらいたかったら、子供もつれてお道の方へ運ばしてもらって、心で親をかかずに、「何もかもおれの方の方がよくわかっている。この親はわからずやだ」といいて、親をさげしめんよう。何もかも聞かしてもらってわかっているとお母さんが、人間心にとざされて、今一生懸命で〇〇家の因縁を切ることも知らずに、来世のみやげをこしらえてもらう時期に困ったものやと、この
​親様の方では、その人の将来をじっと見つめましておりますが、わかっていて実行しないのは、わからんと同じことでしょう。だんく〜と理に理がのって、しまいには天から理気知を取り上げられて、何んのみやげをもっておあの世とやらへ行かれるのか。ほどと深さもわからない。ただ目前になってしまって、むなしくこの世を送っている人の心が。こちらではいじらしいと思っておりますが、こういう姿で世の中を、「おれはわかっている。おれはわかっている」という人は、実行しなくなったらしもうろけてしまって人を相手にしなくなって、ひとりさびしく暮らさにゃならんようなことになりますから、いっせいに目ざめて、しっかりとこの道をやらしてもらいましょうねい、ということや。わかったでしょう。
昭和四十一年十二月二十日午後五時四十五分御書取り
 三月の心得につき御言葉御願い
​一日 惶根之命様 あれくろうせじょうのようすながめたら  四九八
         みちの人ひと ひとりひとりが 先負 ☆ 二七三
                           六五一 🐭  
​心して暮らすにありとわれは知る。プロのどこまでお互は、人々助けに余念なく、天の御供いたしましょう。そうせんことには皆様よ、世上が破滅になりたなら、とってかえしがつかぬから、人々様にこのことを、一人ももれなく伝えましょう。さすれば、人も喜び、天も御喜びくださることとわれは知る。どこ尋ねても外にない、天の月日の親様や八方様の御心にそうような世送りをしたならば、世の人ごとに助けていただくことができるのや。  
​いつの時でも月日様、飛び出てござるということも、よく〜心に感じつつ暮らさせてもらわんと、日本が破滅になったなら、お互様も五尺の体のおきところが、ないようになってからではおそいから、今の間に、真の心からめざめさせてもろうて、それからそれいと道つけて心油断のなきように、八方めくばりいたしましょう。
『あれくろう世上』ということは、よういならん天の言葉とわれは知る。プロのどこまで、天に感謝、人に感謝、親に感謝、夫に感謝、夫は妻に感謝、子供は親に感謝、親は子供に感謝、そして親戚縁者もうともに、仲良く通る心もち、暮らすにありとわれは知る。  
​一家の家庭の中でも、甲の話しと乙の話しと、そも〜になるようでは、仲が割れて治まらなくなって、お互様に独立の行動をとるようになると、何から何まで仲割れをして、北と南と東と西と、四つにも五つにも割れたような、世上ができあがったら、とってかえしのつかんことになりますから、今の間にお互が、一名一人みなめざめて、お互様に同じ心にならしていただいて、ばら〜にならんよう、天地間の人々が、いってひとつにつなぎあわして、じゃまになるきにならんよう、天からは、『じゃまになるきはとりはらう』と仰せくだされてありますから、じゃまになるきにならぬよう、天からとりはらわれるようなことのなきように、『いってひとつにさしずどおりに選ぶなら、天地世界におそるものなし』と仰せくだされてありますとおり、皆いっせいに、日本のものも、世界の人も、めざめさせていただきましょうねい、ということや。わかったでしょう。
とってかえしがつかぬゆえ、あとでこうかいなきように、お互様にしっかりと、においがけに、お助けに、心の改良に、つくしに運びに、五拍子そろえて真剣にやらしてもらいましょうねい。  
​真剣にこのお道をやらしてもらっている人はよいけれど、あまり真剣にやっていない人も、入信してから、かげで願いばかりかけておって、本部へも教会へも、支部へも、分講へも運ばずにいるような人は、じゃまになる木となりまして、大風の時のろうそくのともしびのようなもので、ふっとふきけされてしまうて、天からはきおとされ、ふきおとされて、あの世とやらへ行ってから、後悔したとおっつかんことになりますね。  
​なぜならば、この世にまた生まれさしてもろうても、二十年間はだめでしょう。何が二十年間だめならば、七、八才までは親の世話。七、八才からは、朝夕親の世話で学校へ通って、先生から世の中を渡る学びをうけて、小学校、中学校、もしくは高校、大学と学んでいた二十年はだめ。それから世に出て働いて、家内をもらったり、夫を持ったり、子供や親じゃ、しゅうとや小じゅうとしや、と言っている間が二十年。四十才から六十才くらいまでは動きさかりで、定年に達してくれば、おれは年をとったと言うて、道をひっこんでしまう人も、中にはたくさんあるような。このお道を、年をとったらなお一層に、一生懸命に道をやっておる人は、人格もでき、神格もできています〜盛んになるということやが、
とにかく皆さん、九億万年の昔より、お互様に勝手な道を歩いてきたのだから、勝手な道は暮らしやすいが、この道の定木にはまって暮らさせてもらわんと、前生までの因縁を切って、今世から来世のみやげをこしらえて、今世も助かり、来世も、来々世も助からしてもらおうのには、定木にはまったこの道は、なが〜きゅうくつで骨が折れて、このお道をたま〜休けいする人も多々あるようでございますが、休けいは道草、お互様に、そう長く休けいはしていられないでしょう。  
​一度運んだものには、皆天からもりがうっておりますから、うち〜や親戚や縁者から、いろ〜な不時災難が持ち込まれてきたり、みずから身上面情で困って、持ちもさげもならんようになって、親様と、運んでこられる人もたくさんあるように思いますが、めざめたなりで休けいなしに進めば、助かることにもなりますが、少しよくなると、またくたぶれて休けいをする。  
​人間というものは、型にはまったきゅうくつ袋はいやだとみえて、気ままな信仰をやり始めると、また軌道から脱線して、いつのまにやら、無軌道で走っていて、何か身上面情につきあたると、目をさましてまたついてくるというようなことで、いま世上の有様をながめてごらんなさい。
人間が道を歩くもこの道。自動車が道を走るもこの道。『見る聞く理を思案するよう』と仰せくだされてありますとおり、このお道の人が道草くってひとすじに運ばん姿が【横目運転】。休けいしている姿が【居眠り運転】。この道に素直についていればよいものを、あっちの道だ、こっちの道だと、ふら〜出かけてゆくのが【よっぱらい運転】。一つの事情をのりきる時に方向転換して、天から御言葉をいただいて、一つの節をのりきればよいものを、身上面情という信号の出ていることに気付かずに、何を急ぐか知らねども、急いでふみきる【ふみきりの事故】。止れ、進めに見さかいつけずに、順序おって運転すればよいものを、後からきていて前の人を追い越すようなわれよかれの日暮らしをしている人が【追い越し運転】で、罰金を取られたり、お上へ御苦労をかけたり、お互様に一人一人が日々、踏みそこないのないように、心して暮らしていただいて行けば、いろ〜な霧もなくなるのだが、一家の家庭で、仲割れして泥試合しているようなことでは、まことに困りますから、お互様にゆずりあって、感謝の日暮らしいたしましょう、ということや。わかったでしょう。  
​三日 大戸辺之命様 せんてをば こされていては ともならん  六二一
          どこのおこくまで はこべたすかる 大安 ☆ 四九五
                             八七三 🐯
この道の者は、皆教会長も支部長も分講長も責任役員も委員も教師も信徒も、というように、道の次第の順序はあれど、親様月日様、八方様のみ手足となって、動かしていただいて、助けていただくにありと思う。  
​さすれば皆さんこれからは、なお一層真剣に、道をやらしていただかねば日本も世界も総倒れとなる意味あいを、よく聞かしていただいておるでしょう。そこで皆さん、よく〜思案してごらんなさい。皆この道の一名一人が全責任をもってやらしていただかねばならぬ急務があるのですよ。  
​とにかくこの未年は、病門という容易ならん節がきているのですよ。何事によらず、世界の様子ながめて思案してごらんなさい。悪いことをしている人が、多くなればなるほど、世の中が悪化してくるでしょう。そこでこの道
この道に素直についていればよいものを、あっちの道だ、こっちの道だと、ふら〜出かけてゆくのが【よっぱらい運転】。一つの事情をのりきる時に方向転換して、天から御言葉をいただいて、一つの節をのりきればよいものを、身上面情という信号の出ていることに気付かずに、何を急ぐか知らねども、急いでふみきる【ふみきりの事故】。止れ、進めに見さかいつけずに、順序おって運転すればよいものを、後からきていて前の人を追い越すようなわれよかれの日暮らしをしている人が【追い越し運転】で、罰金を取られたり、お上へ御苦労をかけたり、お互様に一人一人が日々、踏みそこないのないように、心して暮らしていただいて行けば、いろ〜な霧もなくなるのだが、一家の家庭で、仲割れして泥試合しているようなことでは、まことに困りますから、お互様にゆずりあって、感謝の日暮らしいたしましょう、ということや。わかったでしょう。  
​三日 大戸辺之命様 せんてをば こされていては ともならん  六二一
          どこのおこくまで はこべたすかる 大安 ☆ 四九五
                             八七三 🐯
とにかくこの未年は、病門という容易ならん節がきているのですよ。何事によらず、世界の様子ながめて思案してごらんなさい。悪いことをしている人が、多くなればなるほど、世の中が悪化してくるでしょう。そこでこの道の者が、悪化している世上に負けて、世の中の人を助けそこねてはいられないと、先手を越されてたまるものかと、先手をうって暮らさねばならんことでしょう。  
​とにかく、負ける人には負けておいて、まっしぐらにどん〜と、個性の因縁、【個性の因縁】とは、持前性分を改良しつつ、世の中の人をどん〜導いて、皆さん方他の人と手をつなぎおうて、どん〜運べば助かるのであって、道をやる事については、人に負けずに、競争心をもってやらしていただくにありと思う。それかというて、人を悪しざまにののしって、むちゃくちゃな道を通れというのではない。
お互様に、各教会や、支部や、分講を、責任役員、委員、教師や信徒がたばになって、盛り上げてゆくのみに専念してください、ということや。そしてまたうちそろって、本部へも運んで、助かる道をあゆましてもらいましょう、ということや。わかったでしょう。  
​四日 国床立之命様 むだなこと やめてくらせば りがあがる  七三二
          どこのどこまで きれめなきよう 赤口 ☆ 五一六
                             九八四 🐇  
​『むだなことやめて暮らせば理があがる』ということは、どういうことであるならば、親様月日様のもとからはなれて、人をめどうの信仰をして、人とけんかをしたり、ぐちや小ごとで夜をあかしたり、つまらんことにかたくなって、親様月日様のもとから、だん〜遠ざかっている人のことを、むだなことをしていたのでは、親様に自然用いてもらえんようなことになる。
なぜならば、親様のもとへ寄りつかなくなれば、自然親様と遠ざかってしまって、忘れられてしまうでしょう。親様の手もとへ飛びこんで、つくしもし、運びもし、心の改良もし、においがけもし、お助けもし、理をば聞かしていただいて、だん〜と世の中の動きが、ひとりでにわかってくるようになれば、自然と心が陽気になる。陽気になれば、親様をしとうてくるようになる。本部へ運ぶのが楽しみになる。親様や本部の先生方と語りあうのも楽しみになる。また泊りがけで運ぶようなことにもなる。家へもどってからも家々でも陽気になる。笑顔で暮らせることにもなる。こういったことができるようになれば、理の日暮らしもさしていただけることにもなる。


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